2013年1月29日火曜日

伊藤英子の未来設計~スイーツ編~


伊藤英子です。
今日はスイーツ編としてみます。
きっと今後もスイーツ編として書いて行くこともあると思いますが。

今日は未来設計というか過去になってしまいますが、
以前になんだかすごくブームになった感じがするスイーツを
思い出しながら書いてみようと思います。

「クレームブリュレ」
「ナタデココ」
「パンナコッタ」
「クイニーアマン」
「ベルギーワッフル」
「ティラミス」

ざっとこんな感じです。
意外と色々ブームになっているんですね。
これからのスイーツの
未来設計はどうなって行くんでしょうかね?

こんな一覧になりましたが
この際なので、一個ずつ見てみようと思います。

伊藤英子、スイーツ好きなので
楽しみながら書けそうです。

「クレームブリュレ」

これ、名前の「ブリュレ」言うの難しいですよね。
注文するとき、かみそうになります。
大抵あやふやな感じでオーダーしてる気がします。

この用語、何語なのかなと思ったら
フランス語なんですね。
クリームブリュレだと思ってませんでした?
伊藤英子、ちょっとの間クリームだと思ってました。

フランス語で「焦がしたプディング」という用語だそうですよ。
あの上のぱりぱりしたのをスプーンで壊しながら食べるのが
伊藤英子は好きです。

通常はバニラ味ですが、
チョコレートや酒、フルーツで味付けしたという
種類のものもあります。

いやぁ、1つ書いただけで
既にクレームブリュレが食べたくなってきました。
これから色々買いていくのに、どんなけ食べたくなってしまうのでしょうか。

伊藤英子、今回は1つ書くので辞めておきます。
続きは次回以降で。

2013年1月22日火曜日

伊藤英子の未来設計~お好み焼き編~


伊藤英子です。
こんにちは。

伊藤英子、お好み焼きも好きです。
関西風も広島風も両方好きな欲張りな感じです。
そもそもざっくりしかこの区別が分かりません。

お好み焼きの未来設計、
九州風とか東北風とか出てくるのでしょうか?
なんで、関西という地方名と広島という県名なんでしょうかね?
素朴な疑問。

またしても、お好み焼きを調べてみました。
何でも調べるブログになります。

お好み焼きって鉄板焼きの一種で
日本の料理なんですね。
確かに、伊藤英子が海外に行っても
お好み焼きを現地料理として見たことはないですね。

水に溶いた小麦粉を生地として、野菜や肉、魚介などを具材にして
鉄板でやいて、調味料をつけるのがお好み焼きだが、
焼き方や具材は地域によって差が見られる。

そうですよね、○○風がありますもんね。

お好み焼き類の起源は、安土桃山時代の千利休が作らせていた
「麩の焼き」であるといわれている。
その後、麩の焼きを起源として江戸末期から明治にかけ、
味噌の代わりに餡を巻いて作る「助総焼き」が生まれる、
明治時代には「もんじゃ焼き」「どんどん焼き」が生まれた。
関東大震災の際には主食的位置を占め、大正から昭和にかけて
ウスターソースを使用する「もんじゃ焼き」や「一銭洋食」が
食料不足を補う方法としてもてはやされるようになる。
コンニャクや豆の具を入れ醤油で味付けして食べる「ベタ焼き」などが誕生し、
それが各種鉄板料理へと派生、「お好み焼き」と呼ばれるスタイルに発展したといわれる。
大正末期には、神戸でにくてんが食べられており、これは生地の上に様々な具を載せて焼き上げたものであり、お好み焼きはこの延長線上にある。
戦前までは、「洋食焼き」「一銭洋食」などと呼ばれ、
小麦粉を水で溶き鉄板に円状に広げ、その上にネギや天かすなどを載せて焼く
「のせ焼き」が主流であり、子供のおやつのようなものであった。

と調べていたら意外といろんな歴史がある。
伊藤英子、また学びました。

2013年1月15日火曜日

伊藤英子の未来設計~ラーメン編~


こんにちは。
伊藤英子です。

いろんな未来設計を書いて行きたいと思います。
その歴史を紐解きながら、未来はどうなってるかなと想像したいと思います。

伊藤英子はラーメンも好きです。
では、ラーメンの歴史を紐解いてみましょう。

そもそも、ラーメンは、中華麺とスープ、具を組み合せた麺料理。
大正時代ごろから日本各地に広まり、日本の国民食と呼ばれるほど
一般的な食べ物となった。

日本で独自の発達をした中華料理であり、
現在の中国に日本のラーメンに類似する料理はなく、
中国・台湾では日式拉麺(日式拉麵/日式拉面)
または日本拉麺(日本拉麵/日本拉面)と呼ばれ区別される。
漢字表記は拉麺、老麺または柳麺。
別名は中華そばおよび支那そば・南京そばなど

これはWikipedia情報。
中華料理では日本のラーメンとは違いますよね。

日本で一番最初にラーメンを食べた人は
なんと、水戸黄門様こと水戸光圀公。

1665年、日本に亡命していた儒学者朱舜水に、
光圀がお手製のうどんを振る舞ったことに対して
自分の国の汁そばをふるまった。
ただし、この中華麺が広く庶民にまで広まる事はなかったそうです。

時は過ぎ、
1872年頃中華街ができ中華料理店が営業を開始。
1884年に 函館「養和軒」にて「南京そば」というメニューがあったが、
この「南京そば」が、現在のラーメンにつながる汁そばであるかどうかは不明である。
ただ、この説が有力だそうです。

そうすると、最初にラーメンを取り扱ったのは
北海道ということになりますね。
ちょっと意外でした。

伊藤英子、いろんな未来設計を考えてみたいと思いますが、
まずは歴史をしるの大切ですね。
今日はこのあたりで。。

伊藤英子でした。

2013年1月6日日曜日

伊藤英子の未来設計~カルピス編~



伊藤英子です。
私伊藤英子はカルピスが大好きです、
一時期カルピスにものすごくはまって、自由研究でレポートを提出したことがありました。それぐらい好きなカルピス。カルピスについて語りたいと思います。

まず「カルピス」という言葉は、カルシウムの「カル」にサンスクリット語の「最上の味」を意味する「サルピス」を合わせて作った言葉だそうです。

飲料のカルピスは191977日に販売が開始されました。
カルピスのパッケージの水玉模様は、発売日の七夕にちなんで天の川をイメージしたものだそうです。
最初は青色地に白い無地玉だったのですが、1953年に色を逆にし、白地に青い水玉になりました。

その後は希釈済みの製品として、1973年に炭酸水で希釈したカルピスソーダが発売。
1980年代も終盤に差し掛かると生活様式の変化により、飲用時に希釈が必要な従来の原液カルピスは、一般家庭では徐々に疎遠な存在となっていきましたが、1991年に希釈の手間を省いたカルピスウォーターが発売され、大ヒット商品となりました。

自由研究で書いたくらい好きなカルピス。
今も大好きなカルピス。カルピスで私の未来は決まっているのです。
私の未来はカルピスで決まっている、と言っても過言ではありません。
伊藤英子=カルピス=未来設計!